2023年4月28日 乙女の祈り

 

きょうはちょっとセンチメンタルな・・・ことを書こうとしているのではありません。

『乙女の祈り』とは19世紀ポーランドの作曲家バダジェフスカが作った曲で『ピアノ音楽入門』的なCDや曲集にはかなりの確率で入っています。

 

その19世紀から遡ること100年。18世紀初頭にイタリアのチェンバロ製作者が大きな音も小さな音も出せる革新的なチェンバロを創り出しました。それがピアノの前身です。その後18~19世紀と様々な改良が重ねられ、それと同時に王侯貴族や音楽家だけの楽器であったのがブルジョアたちの間にも急速に広がっていきました。グランドピアノが置かれた広い客間(サロン)を持つことがステータスシンボルとなったのです。

 

さぁそうなるとピアノのお稽古の始まり始まり!子女や夫人たちが次々と習うようになりました。そうはいっても玄人にさえ厄介なショパンのエテュードやバッハの難解なフーガ等はお稽古には使えません。ということで、技術的にも音楽的にもさほど困難でなく、作風はロマン派的、そして女性好みの(?)詩的なタイトルが付けられた曲が続々と作られるようになりました。そのような曲はサロン音楽と呼ばれ『乙女の祈り』はその代表作の一つです。

 

私の父はピアノ教師だったので子供時代は始終ピアノの音が聞こえている毎日でした。十代の『お姉さん生徒』がレッスンにやって来ると上記の音楽がよく聞こえたものです。私はそれらの音楽がショパンやシューベルト等とは何か異なっていることを幼いなりに感じていて「どうしてあ~ゆ~曲を弾かせるのかなぁ?」と不思議に思っていたものです。

 

父に尋ねてみれば「へー、お前、分かるのか? 何故弾かせるのかって? いいンだ。そりゃお前には分からない。」

回答は宙ぶらりんのまま、しかしその後もサロン音楽は聞こえ続け、発表会のプログラムには毎回必ず1~2曲は載っていたことを覚えています。

 

あれから50年以上経った今、「ハイハイよ~く分かりましたヨ。」と思います。お稽古ごとのピアノ教室に於いて、その手の曲は不可欠だったのです。

 

ピアノは基礎的なことが一段落終っても、それだけでいきなり芸術音楽にトライ出来るかといえば、それはムチャな話。そこには明らかなギャップが存在します。そのギャップを少しずつ埋めていかなければなりません。それを手助けしてくれる最初の梯子、それがサロン音楽だったのです。

 

抑揚がた~っぷり付いた分かりやすいメロディーは緩急の付け方や間の取り方を学ぶのにうってつけ。また、きらびやかなアルペジオや装飾音をスムーズに弾く為にはそのための技術が必要ですが、それをハノン等の技術教材を使うのではなく「ここが上手く弾けないなぁ。どうすれば良いのだろう?」と実際の楽曲を使いながら技術を習得していく一連のことが学べます。

しかしそれよりも何よりもサロン音楽をレッスンに使う特大の理由は・・・

 

アバウトでもぜ~んぜん構わないことです。ピアノだけではないと思いますが楽器の習得は基礎が終ったからといっても物差しの目盛をいきなり細かくする訳にはいきません。まずは基礎レベルそのままの大きな目盛で次の段階に入っていきます。

ということで、(よほどデコボコでない限り)音符の通りに弾けば何とか格好がつく、という音楽は、教える側にとっても習う側にとっても負担が軽くて助かるのです。(もっとも習う側には分からないことですが。) 

 

その反対に、芸術音楽はフレーズなりハーモニーなり、果てはたったの1音まで、音色や強弱etc.色々なことを総合したドンピシャ!の一点が要求されます。教える側が要求するというより、音楽そのものが要求してくる、といったほうが良いでしょう。これはお稽古ごと故のオマケを最大限引き算しても、或る程度の厳しさはどうしても残ってしまいます。

 

でも、サロン音楽ならばその厳しさを回避できるのです。弓道やアーチェリーで例えれば、芸術音楽の場合は中心点に当てなければハナシにならないのに対し、サロン音楽の場合は的の大きな円(一番外側の円)内のどこかに入ればOK、というところ。いえ、もっと極端に言えば円に入らなくても『届けば良い』くらいかもしれません。

 

弓を構え、放ちます。「あぁ、外れちゃったネ~。」 「惜しい! あと10cm左だったら真ん中だったのにネ!」

その「惜しかったねぇ!」の段階でも楽しく出来るのがサロン音楽だったのでした。だって「惜しかった」ではなく「当たったー!」に相当してしまうのですから。生徒にToo Muchな要求をしないで済むので教える側もニッコニコ!

 

そんなワケで・・・

「どうしてあ~ゆ~曲を?」と口を尖がらせていたのに長~い年月を経てみればサロン音楽万々歳!その類の曲がもっともっと残っていたら良かったのに、とも思います。もちろん時代のフルイにかけられた結果なのですから、もっともっと残っていたとしても使えない曲だった可能性は大アリなのですが。

 

その手の曲ペダルをたっぷり使うので、ピアノの響きの美しさを充分楽しめます。「あぁ綺麗だな~❤」 「ピアノって何て素敵なんだろう!」 そのような気分をたっぷり味わうことはその段階での重要なポイントとなります。そしてそれを終えると次の梯子~有名作曲家による『準・サロン的な音楽』に移っていきます。

 

天国の作曲家たちが「まぁお稽古ならば目をつぶってあげましょうかネ。」と苦笑いしている姿を想像しながら、少しずつ少しずつ『的の円』を小さくしていきます。その道の先の先に芸術音楽の扉があります。

道のりは長~いです。でも楽しい道のりです。

 

* * オマケ * *

 

『乙女の祈り』がしょっちゅうプログラムに載っていた父の教室の発表会。あるときから滅多に弾かれなくなってしまいました。その理由は・・・

 当時住んでいた川崎市のゴミ収集車がいつの頃からか『乙女の祈り』を流すようになっていて、発表会で生徒さんが優雅に弾き出すと客席のどこかから「あ、ゴミ車の音楽だ!」 

 

いったい誰がゴミ収集車のテーマに『乙女の祈り』など選んだのでしょう? まぁ曲を聴けば確かに「これが祈り? ちょっと違うンじゃない?」と思う人は少なくないと思いますが、それにしてもゴミ車まで落とさなくても・・・。 

 

もっと別の曲を探せなかったのかなぁ。清掃局の誰かのお嬢さんがたまたま『乙女の祈り』を練習していたのかな? それとも半世紀後にゴミが大問題となっていることを予見して『祈り』にしたか? まさかネ。(私が成人した頃には山本直純氏が作った曲に替わっていました。)