2023年11月17日 想定外にならない為に 

 

 「家ではもっと良く弾けたンです。」よく聞く言葉です。

あるいは弾きながら僅かに首をひねったり「ウッ」と声を上げたり、中には「ひど過ぎー!」などと聞こえることも。(意味のある言葉を発しながらよく弾けるなぁと感心しますが。)

結局は皆「こんなハズではなかったのに~!」ということですよね?

 

レッスンで弾く時には緊張するものです。家で気楽に練習していた時の出来とは異なって当然。私も大昔に逆の立場をさんざん経験していたので良く分かります。「練習の成果を聴いてもらうゾ!」と思っていたのにイザ弾き出すと全く異なってしまう口惜しさよ!

 

さてさて、

そのように改まって弾くと想定外になってしまうものですが、それはただ緊張の所為だけだと思いますか?確かに入門から基礎レベルくらい迄の場合はそうでしょう。しかし中級に至り少し進んでくると別の要因も絡んできます。(実は別でもないのですが。)そのことを分かった上で毎日の練習に臨めばもっと上手になれると思ったのできょうの題材にしました。

 

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家での練習は家族がいようといまいとお構いなしに弾けるものです。とりわけ通奏しているときなどは「あ~ぁ、イイなぁ!」と半分酔いながら弾き進めることもあるでしょう。「私も結構上手いモンだ!」な~んて思うことも? いえ、それで良いのです。その喜びや楽しみがあってこそ!

 

でも、そういうときは耳が受け身になっていることが少なくないと思います。『耳が受け身』とは、例えばドミソの和音であればどんなドミソであるか(大きさ、全体とのバランス等々)は全く頓着しない耳です。間違った音でなければ十分。ドミソが聞こえればそれで良し。

 

『聞こえれば』と書きました。そうです、意識的に『聴いている』のではなく『聞こえている』、それが受け身の耳です。そうやって聞こえた音に心の中の音楽を当てはめているのです。意識は常に心の中にあり、外で実際に鳴っている音はその手助けをしているに過ぎません。

 

そのようなときには小さなゴミやアラは見えない(聞こえない)ものです。たとえ聞こえたとしても耳に引っ掛かりません。極端な場合はドミソの和音であるべき音にレの音が小さく混ざってしまってもドミソだけの和音として聞いてしまいます。

 

ここでちょっと別の芸術  舞踊を思い浮かべてください。

上記のことは舞踊であれば鏡を使わずに心のままに踊るようなものです。それが悪いワケではありません。むしろとても大切なことです。しかしその段階に飽き足らなくなってきて「もっと上手になりたい!」と思ったときには鏡を使うことも必要になってきます。

 

そうして改めて鏡の前で踊ってみると「あれれ?脚を高~く上げていたつもりだったのに全然上がっていないじゃない!」とか「顔の表情のことを考えていなかった!」等々に気付くものです。

さぁそうしたら今度はそれを「こうありたい」とイメージしていたものに直す作業に入りますね。鏡を見て理想との違いを把握し、そのギャップを埋めていく『チェック練習』が始まります。

 

(専門的な道を進んでいく場合はさておいて)趣味のお稽古であれば、心うっとり楽しい『酔い弾き練習』と上記のような『チェック練習』を行ったり来たりするのが進歩の早道かと思います。ところが後者はえてして面倒クサイもの。上手く弾けないことに正面から向き合うのはやっぱりイヤなことですし、そこを頑張って向き合ってもちょっとやそっとでは出来るようにはならないのが普通だからです。オマケにそのような箇所は一つや二つではなく、何となくドドーンと山のように・・・そんな感じではありませんか?

 

しかしその山は一遍に崩さなければならない訳ではありません。「きょうはこの部分だけ!」と決めてしまいましょう。大きな山であっても「きょうはこの部分、明日はこの部分・・・」とピンポイント的に崩していくうちにいつかは無くなってしまう時が来ます。

 

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練習中にいつの間にか他のことを考えている、そんな時は厳しい耳を用意しなければならない段階(あるいは箇所)であることが少なくありません。ところが無意識のうちに厳しく聴くことから逃げているので、いつの間にか指だけ動かして頭は別のことを・・・という状態になっているワケです。練習の最後になってようやく意識が戻ってきて「ワタシ、きょうも練習したワ!」

 

さてそのような練習を重ねた暁にレッスン日を迎えたとしましょう。まさかレッスンに於いても別のことを考えながら、なんていう訳にはいきませんよね。先生にジックリ聴かれていると全身全霊で演奏に集中せざるを得ませんし、ひいては練習時には使っていないような厳しい耳で聴いてしまうものです。加えて家で弾いているピアノとはタッチや音色が微妙に異なるので、普段何気なく聴き逃していたNG部分を耳が目ざとく(?)キャッチしてしまうのです。

 

すると「あ、まずい!」 「あ、また!」 「ウヮ~!ここも!」と次から次へとゴミを見つけながら弾くことになり、仕舞いには「あ~、家では上手く弾けていたのに~~~!」

 

わかるわかる!こちらもつい苦笑い。確かに練習時には緊張を引き算した分だけは上手く弾けていたのでしょう。でもレッスン時に自分自身で気が付いた一つ目のNG、二つ目のNG、三つ目のNG・・・家ではそれらのNGを無意識のうちにスルーしていたので上手く弾けていた(と感じていた)のでは? 可能性ゼロではないハズですよ。

 

厳しいことを書いてしまいましたかネ?

本題に戻りましょう。レッスンで想定外にならないためのポイントは『厳しい耳でチェックする』ことを織り交ぜて練習しておくことです。(こうやって改めて書けば当たり前すぎるくらい当たり前のことでしたね。)

 

既に書きましたが『チェック練習』は1日に1箇所だけでも良いのです。あるいは「最初の5分だけ!」と覚悟を決める。たったそれだけならば出来ますよね?実はその『ほんのちょっとだけ』というところがミソ。敷居を跨いでしまえば「あ、結構イケる! ならばもう少し頑張っちゃおうかな?」となることも少なくないのです。そうしているうちに楽しさがfunだけではなくなってきます。

 

大事なことは敷居を跨ぐこと。敷居の前で「面倒なこと無しに上手にならないかなぁ~、ならないかなぁ~」とウロウロしていても大して上手になりません。『理想をなぞるだけ』が永遠に続きます。

そこを観念して敷居の向こうに一歩踏み出す!そうすることが習慣になってくれば「やったー!私も出来るンだわ!」の自己肯定感が培われますし、元々の目的であった理想に近づいてゆくことが現実の喜びとして味わえます。

 

自分なりにチェック練習を色々してみても理想に近づけなかったときには、レッスンで弾き出す前に「この部分がどう練習しても上手く弾けません。」と先にExcuseしてしまいましょう。そうやって始めれば気が楽でしょう?そうすれば後で先生が練習方法を教えてくれますしネ!

 

そうやって様々な箇所の「上手く弾ければこの程度、すご~く調子が悪い場合は・・・」という巾をシッカリ分かった上で弾き始めれば、想定外が起こって大慌て!ということは無くなってくるハズです。(全てが想定内になりますから。)そうやって一番ダメな場合の程度を十分承知していれば「素晴らしい出来を聴いてもらおう!」という欲も極小となりますので必要以上に緊張することも無くなってくることでしょう。

 

以上、曲がりなりにも名曲にトライ出来るレベルに至った方向けのアドバイスでした。

 

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追記( 注意として

文中に書いた舞踊に於ける鏡は音楽に於いては録音かもしれません。しかし録音を使った練習は音楽のスケールが小さくなってしまう恐れがありますので、特別な時を除いてはしないほうが良いと思います。細かい目盛でチェックする耳を瞬時瞬時使いながら弾き進めましょう。

全神経を総動員する運動をしながら聴覚をも同時にフルに使う → 脳がよじれるほどの脳トレになると思いますヨ!

 

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さぁでは私もそろそろ練習を。今書いたことを心に置いてきょうこそあの難所を!

  ウ~ン、でも昨日の練習時の痛みがまだ残っているから・・・

といってもあの箇所が上手くならないことには曲として成り立たないでしょ!

  でもあの箇所は特に念入りな指慣らしが必要。きょうは時間があまり無いから・・・

時間が足りなくなったら今晩の献立を肉団子からそぼろ丼に替えれば良いだけでしょ!ホ~ラホラ、ナンノカンノ言ってまた明日に廻そうとしている。そんなことをしているといつまでもたっても曲が出来上がらないわヨ!

  ウ~ン、そうなのよネェ、でもやっぱりナァ・・・ ブツブツブツブツブツブツ・・・